コソダテノスキマ

子育ての隙間です。育児に関するあれこれです。

私と妻とささみの始まりの話

その朝、妻を病院へ送り届けた私は、ひとり、ひとまず帰宅した。

予定日をすぎ、六日目をむかえた妻は、陣痛誘発の処置を受けるため、入院することになったのだった。その経過によっては帝王切開も視野に入れつつではあるが、いずれにしても、この二、三日中での出生が約束されていた。

夫婦として分娩室での立会はしないという方針ではあったが、ときが近づけば私も病院へと赴き、直前までは妻と過ごし、その瞬間は、待合室あたりでむかえるつもりであった。陣痛中の妻に有効なのかは定かではないが、かける言葉の二、三も考えておいたし、陣痛を逃すために妻の肛門にぐいと押しあてる用途としてのテニスボールも準備してあったのだった。

しかし、妻の所見になんらかの兆候が現れるまでやることのない私は、ひとり、ひとまず帰宅したのである。

 

軽い食事を終えてから、汚れてもいない部屋の掃除をしたり、たまってもいない洗濯物を片づけたりと、気もそぞろに過ごすうち、妻のいる病院での面会が可能な時間になったので、平素のとおり会いに行ってよいものかと、妻にメールを送ってみた。

しばらくすると、妻からの、メールではなく、電話が鳴った。

 

「もしもし? 調子はどうだい?」

「うん、あのね……出ちゃった」

「は?」

「うん、あのね……産まれちゃった」

「は?」

 

あのね、出ちゃったそうである。つるんて。もう、出ちゃったそうである。つるんて。

 

妻によると、陣痛促進剤の投与から刹那のうちに娩出期へと突入し、私に連絡をする間もなく、分娩台へと登ったそうだ。そしてまた、あれよという間にお産をなしとげ、分娩後の処置も終えたそののちに、私に電話をかけてきてくれたというわけだ。

母子手帳には、初産婦としては(もしかしたら経産婦だったとしても)とても迅速だろうと思われる分娩所要時間が記されていた(これが、妻の体にある障りをもたらしてしまったのだが、それはまた別の機会に)。

 

自分の子供が産まれたそのときに、私はなにを思うのだろうかと、よく考えた。それらしい言葉などが意識にのぼったりもするのだろうかと、私のなかの回路のどこかが、かちりと切り替わったりもするのだろうかと、よく考えていた。

そして正にその日をむかえ、ひとり出産を果たした妻のもとへと駆けつけて、その顔を見て、私はただ、ほっとしただけだった。疲労と不安と安堵が入りまじる複雑な表情の妻を目にして、私はただただ、ほっとしたのだ。

そして、しばし間をおき、赤ん坊を見た。赤ん坊は、そこにいた。私の意識にどんな言葉がのぼろうとも、私のなかの回路がどうあろうとも、赤ん坊は、そこにいる。

私はただ、その存在を、全力で肯定するだけである。

 

ささみという名の、女の子の始まりの話。私と妻の、子育ての始まりの話。

 

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