コソダテノスキマ

子育ての隙間です。育児に関するあれこれです。

娘が生まれて初めて私の肩がこった話

生まれてこの方、肩こりというものに無縁であった。

まわりの人間、たとえば母親だとかが、肩がこったと嘆いているのを聞いていたし、それを叩いたり揉んだりしたことも幾度かある。

妻も重度の肩こりのようで、深い溜息をつきながら、首をぐるぐると回してみたり、私に按摩を頼んでみたり、あずきの詰まった袋様のものを買ってくるなり電子レンジで温めて肩に乗っけてみたりと、どうにかこりを解消しようと、毎日苦心しているのも目にしている。

しかし、私自身の肩はまったくこっていないから、その感覚も、その辛さも、按摩することの効目も、あずきをチンする意味も、およそ理解できるものではなかったのである。

 

さて、ささみが生まれ、妻とともに産科から退院してきてからというもの、やれミルクだの、やれ寝かしつけだのと、日に幾度も赤子をこの手に抱くこととなった。人には利き手というものがあり、私はいつも、その頭を左腕の上に乗せて抱いていた。

そうして一週間ほど過ごしたある日、私は背中の、左側の肩甲骨のあたりに違和感を覚えた。肩から背中にかけて重りをつけられているかのように、そこは強張り、鈍い痛みを発していたのである。

はてと思い、その症状を妻に伝えてみたところ、彼女の表情は一変し、興奮した様子で私に語りかけてきた。

 

「肩こり! それは肩こりよ! K・A・T・A・K・O・R・I! カタコリ! それが名前!」

「カ……タ……コ……?」

「K・A・T・A・K・O・R・I! カタコリ!」

「カタ……コ……リ……」

「ああ! わかったのねあんた! そう! そう肩こりよ! カタコリ! それが名前!」

 

私はまるで、北島マヤ演じるヘレンが「ウォーター」という言葉を悟ったときのように、生まれて初めて、肩こりという概念を身をもって理解した。妻はまるで、姫川歌子演じるサリバン先生のように、それを私に教え、それを理解したことを喜んだ。

先述したとおり、ついぞ肩こりというものに理解が及ばなかった私は、図らずも、それが態度として表れて、肩こりに悩む妻を、がっかりさせていたことなどもあったのかもしれない。私の肩こりに、私が肩こりを理解したことに、妻があれほど喜んだのにも、そう考えると納得がいく。

この先も、互いに理解の及ばないことが多々あろうかと思うが、理解の及ばないことがあるという、そのことだけは理解して過ごそうと、妻と赤子の顔を見ながら、そう思った次第である。

 

ちなみに、ささみの頭を支える腕を右に変えたら、私の肩こりは翌日に解消した。あずきをレンジでチンするつもりは、しばらくない。

 

あずきのチカラ 首肩用

あずきのチカラ 首肩用