コソダテノスキマ

子育ての隙間です。育児に関するあれこれです。

沐浴のたびにささみ脱いだらすごいんですという話

ささみの風呂嫌いに当惑している。

いや、風呂自体は苦手ではない。湯に浸けている最中は、いたってご機嫌だ。ぐずったりすることもなく、頭から足の先までゆるりと洗ってやることができる。ささみが嫌いなのは風呂ではなく、裸になることである。

 

沐浴の時間になると、私と妻の間に緊張が走る。この後、ささみが猛り荒ぶるであろうことが、容易く想像できるからだ。

ささみの服を、慎重に脱がしにかかる。肌着を結んだ紐を解く。ささみが察し、暴れだす。構わずに、右腕を袖から引き抜く。ささみの顔が、朱に染まる。構わずに、左腕も引っこ抜く。ささみの顔が、皺苦茶になる。もうだめである。

毎度毎度、服を脱がし始めてすぐにぐずり出し、裸になったその途端、真っ赤な顔で啼泣するのだ。私のやり方に、なにか至らないところがあるのだろうか。不安である。そして、「ごめんね、ごめんね」と声をかけながら、女児の服を剥ぎとる私の姿は、妻にはどう写っているのだろうか。不安である。

 

さて、裸で泣き喚くささみを抱え、あたふたと風呂場へ急ぐ。湯に浸けるやいなや、ささみはみるみる穏やかになる。なんなら笑みすらこぼすのである。私も平静を取り戻し、にこやかに声をかけながら、ささみの体を洗ってやる。

しかし、沐浴の終わりが迫るに連れて、私の心はまた騒ぎ出す。この後、ささみが猛り荒ぶることを想像するのは、ほんとうに容易いからだ。

 

ささみを、湯からざばりとあげる。間髪を入れず、ささみの満身は真っ赤に染まり、叫び声をあげながら、じたばたと足掻き出す。

なんだこれは。私の腕のなかでぴちぴちと。まるで水揚げされたかつおではないか。まるで、かつおではないか。私が持っているのはかつおか。かつおだ。いやかつおではない。ささみだ。

水揚げされたささみをバスタオルで覆い、慟哭のなか、へそを消毒し、慟哭のなか、耳と鼻を綿棒で清め、慟哭のなか、服を着せ、抱き上げ、あやし、ご機嫌とりにおしゃぶりなどを与え、ささみの気が静まれば、風呂の時間は終幕である。

慣れていくものなのであろうか、赤子の泣き声は、私の気力と体力を、確実に分捕っていく。私はささみを布団に横たえ、這々の体で、荒れた浴室を片づけに行くのである。

 

部屋に戻ると、ぺっと吐き出したおしゃぶりを図らずも自分の顔に乗っけてしまったらしいささみが、ふんふんと息を荒らげ、それを落とそうと藻掻いていた。哀れな娘である。

 

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