コソダテノスキマ

子育ての隙間です。育児に関するあれこれです。

おしゃぶりで楽する育児に思うこと

乳児におしゃぶりを与えることに関しては、賛否両論のようである。

その利点としては、寝つきがよくなる、精神的安定が得られる(泣きやむ)、保護者のストレスの軽減などが、欠点としては、習慣性が強い、長時間・長期使用による噛み合わせへの影響、発語の機会の減少などが挙げられることが多い。

私と妻は、そういったことをざっと調べたうえで、メリットのほうが大きいであろうと判断し、ささみが生まれる前にそれを購入し、実際に新生児のころから与えている。といっても常にしゃぶらせているわけではなく、今のところ入眠のきっかけとしてのみ使用している。

「眠いのに、眠いのに、眠ることが、で、で、できないよぅぅゥゥェェェ~」というぐずりを発動するささみに対し、その効果は絶大で、おしゃぶりは買ってよかったと思える育児グッズのひとつとなった。ただし、(幸いにも長時間の利用は避けられているが)長期使用による影響も慮り、1歳を迎える前にはやめる心づもりである。あくまで、心づもりであるが。

というように、その利点と欠点を保護者が考慮し、それぞれが与えるか否か、与えるとしたらどう与えるのかを判断するという、それだけのことだと思うのだが、おしゃぶりについて調べているとき、首を傾げたくなるような見解に何度も出くわした。

 

曰く、「おしゃぶりをくわえさせるなんて、かわいそう」。

たとえば、お腹が空いたおむつを替えろ眠いんじゃボケというように、なにかを訴え泣いている赤子の口を、おしゃぶりで塞ぐのはかわいそうだということらしい。おしゃぶりに頼らず、おっぱいをあげたり、抱っこしてあげたりすればいいじゃないかと。

ミルクをあげて、おむつを替えて、抱っこをしたそのうえでおしゃぶりを与えているが、そうか、ささみはかわいそうなのか。事情もよくわからぬ人の子に向けて「かわいそう」という言葉を選ぶその判断力の方が、よほどかわいそうである。

 

曰く、「おしゃぶりを使わないのが自然な育児」。

自然な育児とはなんだろうか。たとえばささみは事情があって、人工ミルクのみ、いわゆる「完ミ」での育児である。母乳を与えていない私と妻は、不自然な育児をしているのだろうか。そのうえ、紙おむつも、授乳クッションも、そしておしゃぶりも使っている。ささみは、超不自然な育てられ方をしているのだろうか。ばかばかしいことである。

おしゃぶりを不自然だという方は、どうぞ随意に自然な育児に邁進していただきたい。ただ、私は不自然なままで結構である。

 

曰く、「乳児の反射を利用するなんて卑怯」。

おしゃぶりは、口にふれたものに吸いつくという、乳児の吸啜反射を用いている。その不随意運動を利用して、大人の都合を押しつけるのは卑怯だということらしい。私はほかにも、手のひらにふれたものを掴むという反射を利用して、ささみとコミュニケーションをとっている。卑怯なのだろう。沐浴の際は、足の裏を浴槽の縁に押しつけると脇が開くという反射を利用して、脇の下を洗ってやる。卑怯なのだろう。

また、新生児~乳児期に、生理的微笑というものがある。その感情に依らず、神経反射で顔の筋肉が引きつり、笑顔のような表情になるものである。私はその笑顔に、それがただの反射と知りつつ、大変に癒やされた。反射を利用して、心弛んでいた。「反射を利用するなんて卑怯」と言う方はきっと、自身がその笑顔に安らぐことも、よしとしないのであろう。難儀なことである。

 

私が育児におしゃぶりを使用することを自由に選択したように、それを誰がどう思おうと、自由である。ただ、そのよくわからない感情みたいなものが、育児をしている人に、そしてその赤子に向けて放たれるのを見るのは心苦しい。

こと育児ついて、おしゃぶりに限らず、楽をしようとする保護者に対する風当たりが強いと感じる。楽をしたことで保護者の精神に余裕が生まれ、それが笑顔として赤子に向かうのならば、何の問題があるのだろうか。

育児を放棄することと、楽をすることは別である。

 

ところで、我が家ではおしゃぶりのことをしゃぶと呼んでいる。日々、ささみに対して「またしゃぶが欲しいの?」「すぐにしゃぶ吸っちゃうね」「しゃぶはなるべく早くやめようね」などと話しかけている。自宅以外では使わない約束である。

 

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