コソダテノスキマ

子育ての隙間です。育児に関するあれこれです。

寝顔が一番かわいいというのは真実か

子供は寝顔が一番かわいいのだという。

自分の子供が生まれる前から、幾度か耳にした話である。当時の私に確かめる術はないから、それを聞くたび、そういうものかと思っていたのであるが。

 

さて、実際に自分の子供が生まれてみてどうだろう。ささみの寝顔は、かなりの仏頂面である。「起きぬ」という気概と「起きられぬ」という放漫さが同時に感じられるような、なんとも言えない表情である。

私は、その寝顔も大変にかわいいと思ってはいる。思ってはいるが、では、たとえばささみのかわいい顔ランキング第一位を決める機会があったとして、私はその仏頂面を選ぶだろうか。やはり、くすぐられているときのはしゃいだ笑顔や、まんまるに開かれた目で玩具を見つめる顔などを選択する気がするのである。

ほかの子供のその保護者による「寝顔が一番かわいい」という判断にけちをつけるつもりはないのだが、ほんとうに寝顔が一番かわいいのだろうか。「寝顔が一番かわいい」という言説を幾度も耳にするほど、世間には寝顔が一番かわいい子供ばかりなのであろうか。

 

思うに、その表情の塩梅よりも、眠っているという状態が肝要なのではないだろうか。

赤子は寝ているときをのぞいて、ひとりきりで過ごすということがほとんどできない。だから保護者がその世話をするのであるが、それもこちらの思うとおりには熟せない。こちらの予定を、ことごとく砕こうとしてくる。

たとえばささみは、私と妻が、ささみの機嫌がよいところを見計らい食事を取ろうと、テーブルに膳を並べて腰を下ろし、「いただきます」と声を上げたその瞬間に、便を放つことがある。仕方なく先におむつを替えてやるのだが、みそ汁は容赦なく冷めていく。一度や二度ではないこの所業は、狙ってやっているとしか思えない。

また、赤子は起きているあいだ、終始にこにこしているわけではもちろんない。あれこれと不満を見つけ、泣き声でそれを伝えてくる。さらに、ささみはまだはいはいもできないが、自分で移動できるようになったとき、当然こちらの思うとおりには動かないであろう。

そんな、目も手も離せないその赤子が眠っているときに限り、保護者は自分のためだけにものを見て、それについてなにかを感じることができる。

笑っているときも泣いているときもおかしな声を上げているときも、私はいつでもささみのことをかわいいと思うのだが、その「かわいい」はささみへ向かう。ささみが起きているあいだは、ささみについての私の感情は、ささみのためにあるのだ。

しかし、ささみが眠っているとき、その寝顔を見てかわいいと思ったとき、その「かわいい」は私のものである。だから、その「かわいい」が、最も沁々と感じられるのではないだろうか。それをもってして、寝顔が一番かわいいという所感が生まれるのではないだろうか。

 

そんなことを考えながら、横で眠るささみの顔を眺めている。あいかわらずの仏頂面である。ぜんぜんかわいくない。かわいくなさすぎて、逆に超かわいい。

 

ホッペッタ Hoppetta champignon 6重ガーゼスリーパー 7225

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